小6算数でやってることから 感じること
2021年2月5日
小6は算数で資料の読みとりを学んでいます。
中1が3学期に学ぶであろう範囲です。
コロナの関係で授業がずれ、遅れている学校が多いので、まだ中学1年生は この「データと資料」については学んでいないようです。
「データと資料の読みとり」。
数年前は高校生で学ぶ範囲でした。偏差値の計算や箱ひげ図など新傾向問題として表れたのが、どんどん学年が若くなり、中3 中1 からとうとう小学生で 一部学ぶ範囲に変わってきています。
小6が資料の読みとりを今学ぶということは、割合、論理、樹形図は 簡単にすましてしまわざるをえず、
小5で 速さ 割合 の文章題を学ぶことになり、
小4では 分数の計算や小数の割り算かけ算(ひっ算含む)を学んでいるのですが、
これを縦断的に見ていくと、本当に小学生から学んでおく範囲 内容が増えているのが見えて来ます。
多くの大人たちが、「今どきの子供たちは・・・」「学校の勉強は社会で役に立たない・・・」という 紋切型の批判評価をしてる間に、どんどん学んでいることが 進んでいるのです。
とはいえ、実際の小学生5年6年が全員 これらの内容を十分に理解できているかというと、私はほとんどの生徒は理解できていないと感じるのです。新しい学びが増えた分、錬成していくこと、修練していくこと、積み上げていくこと、多くの問題を解くことでコツに気づきひらめきを得、応用力を養っていくという昔ながらの学びの場が 学校教育の場からは消えて行きつつあると 私は感じます。大量の問題を解くとは、ただプリントを与え、宿題を与え、やらせればいいのでは ありません。
解きながら、書きながら、何につまずき、失敗し、どこがおかしかったのかをイチイチ 見てもらう場が学校や 他の塾では少なくなっているという事です。
では、なぜ このような内容を 低学年の生徒たちが学んでいるのでしょう?
という問いをもっていくことが 塾として大事なのだと感じています。
資料があるから、データがあるから、○○が言っているから、というだけで安易に信じてはいけないよというメッセージのように感じるのは 私が穿った見方をしてるからかもしれませんが、
中3は 公民で、「情報リテラシー」を学んでいますし、国語の教科書にも「情報社会を行きる」ことについての心構えを書いた文章が掲載されています。大学入試の英語長文でも、二酸化炭素の排出量が地球温暖化を・・という話と同時に、そうではないデータがある・・という内容の読解文を読んだこともあります。
個人的に 衝撃であり、びっくりするのですが、 今、小学生 中学生 高校生が 読む 国語の読解問題、英語の読解問題の中に、日本だけではなく世界環境、政治 格差をなくすために、生きるとは、哲学的思考 を扱うものが本当に 多いのです。
私は 学校の教科書の内容の変化から
日本の未来はどうなっていくのか、
どうあると理想的かを 教育関係者 具体的には文科省が 深く深く考えて
提案しているのではないかと感じるのです。
「そんな ことはない、」という意見もあるでしょうけど、
そうであるなら、という仮説を立てて、その意見に基づいて意見を積み上げていくことは 可能です。
ここに、過去の常識を少しずつ崩していって、まったく異なる考えを受け入れていける人間を作ろうという 大きな目標が あると感じます。
このような話。
興味がある人とない人がいるでしょうけど、
実際 私は 塾生や 保護者面談で 直接話していると、多くの方が同意してくれますし、教材会社の方と意見交換をすると、私以上に深く考えている方が本当に多いと感じます。
未来は 明るいよ!!
すごい人、素晴らしい人は ゴロゴロいるよ!